4ヶ月ぶりに東ティモールの土を踏み、1月が経ちました。
首都のディリは、特定の地域を除けばほぼ元通りの状態です。日中は、一人で歩き回ってもほとんど問題ありません。国際軍は駐留を続けていますが、そこら中をパトロールしているというほどではなく、想像していたほどプレゼンスは高くないという印象です。インターネットカフェにはたくさんの国際軍兵士・国際警察が来ていて、隣に座った兵士が銃をがちゃんと床に置いたりすると、ちょっとびっくりしてしまいますが。
しかし、ディリ市内に点在する国内避難民キャンプには依然として多くの難民が生活しており、彼らの帰還はあまり進んでいないようです。UNHCRや国際NGOが支給した立派なテントも多いですが、東京の公園に集まって暮らすホームレスを思わせるような光景も目にします。日中は暑く、夜は硬い地面の上で眠り、今でも十分不便な生活に違いありませんが、これから雨季に入ると一層厳しい環境に置かれることが予想され、衛生状態の悪化や病気の蔓延、さらにはストレスや鬱憤が新たな争いの火種を生むことなども懸念されます。
彼らの帰還が進まないのは、敵対する住民による攻撃をいまだに恐れていること、家が放火されて帰る場所がないこと、などが主な要因です。難民のほとんどは東部地域(バウカウ、ビケケ、ラウテムの3県)出身者で、西部地域(東部3県を除く10県)出身者による攻撃(投石、放火、破壊行為など)を恐れています。安心して眠るために、夜だけキャンプに来る人もいるとのこと。私の知人にも、家を放火もしくは破壊された東部地域出身者人が4〜5人います。以前遊びに行った家が、跡形もなくなってしまった様子を目にすると本当にいたたまれない気持ちになります。家族が殺されたり、財産を奪われたりした人が犯人を恨むのは当然といえば当然のことで、罪を犯した人が法によって公正に裁かれるシステムがきちんと機能しなければ、報復の発生を止めることはできないだろうと思います。
ほぼ元通りにみえるディリですが、難民キャンプ周辺では毎日のようにトラブルが発生しています。キャンプに固まって暮らす東部地域出身者に対する投石や、敵対する若者グループ同士の抗争などが主ですが、死亡事件が発生することもあります。トラブルを起こす人はほんの一部であり、多くの住民は争いも好まなければ東西対立の意識も薄いのですが、状況が完全によくなったわけではいないこともまた事実です。外国人を対象とした犯罪はほとんどなく、今のところ身の危険を感じることもありませんが、キャンプ周辺では生活が苦しい人々を刺激しないよう、彼らのイライラを募らせないよう、何となく気を遣って足早に通り過ぎたりしてしまいます。
先週は、空港の敷地内にある難民キャンプで大きな抗争が起こり、空港が1日閉鎖されました。国際軍が駐留して半年近く、またいつも同じ場所(難民キャンプ周辺)でトラブルが発生するにも拘らず、なぜ未然に防ぐことができないのだろうかともどかしい気持ちになりました。空港は、最も厳重に警備をしくべき場所のひとつであるはずですが(万が一の場合に脱出できる手段を確保しておく、という意味において)、空港閉鎖の事態にまで至ってしまったのは残念としか言いようがありません。
このときは5月の騒乱発生時と同様、あっという間に街から人気がなくなり、改めてティモール人の情報網に驚かされました。主に携帯電話のメールなどで連絡を取り合っているものと思いますが、ディリにいる私よりも、ロスパロスやインドネシアにいる友人のほうが早く情報を得ていることすらあります。
今後事態は好転するのか、何かのきっかけで再び悪化してしまうのか。どちらに転がってもおかしくないように思われます。そうは言っても、脆弱ながら一応の安定を得て、人々は従来通りの生活を続けています。LoRo SHIPも、まずは今の活動にしっかり取り組んでいくことで、東ティモールの支援を続けていきたいと思います。
2006年10月31日
2006年08月03日
ディリの商品取扱店より
先週、ディリで生産者グループの商品を扱っている販売店と連絡を取りました。
空港の土産物屋は営業を続けていました。ディリの情勢悪化後、空港の職員や土産物屋のスタッフがかなり逃げてしまい、わたしが退避した頃は開店休業状態となっていましたが、ひとまず安心しました。こんなときだからこそ、通常通り販売を継続して収入を上げ、生産者の生活の安定、ひいては彼らのやる気に繋げられればと思います。
販売スタッフの一人は東部地域出身の男性なので、西部地域出身者による襲撃などを恐れ、ディリを離れているのではと思っていました。が、様子を見つつ仕事を続けているようです。彼によると、死者を出すほどの抗争や放火などはほぼ収束したものの、若者同士の喧嘩などはいまだ散発しているそうです。
一方、ホテルにある土産物屋は一ヶ月間ほど店を閉めていましたが、先月より営業を再開しました。
両店舗ともまだ売上は芳しくないそうですが、現在外国軍や援助関係者など多くの外国人が東ティモール入りしており、それ自体は決して喜ばしいことではありませんが、今後の売上の伸びの一助となるのではないかと期待しています。来年5月の総選挙の際も、選挙監視団など多くの外国人が東ティモールにやってくるものと思われます。そういったときに起こる一時的な経済振興、いわゆる「国連景気」のような状態が過ぎ去ってからが、本当の勝負であり長い道のりではあるのですが。
ホテルの土産物屋のオーナーによると、ディリ市内では教会や空港などにまだ多くの避難民が残っているとのこと。彼らの帰還は今後の課題の一つとなりそうです。また、99年の騒乱後と同じく、住民が避難している間に他者が勝手に彼らの住居に住んでしまう「土地の不法占拠問題」の発生も懸念されます。東ティモールではまだ、土地の所有権に関する制度がきちんと整備されていません。今回の騒乱では、過去に他人の土地だったところに勝手に住んでいたために、恨まれ放火された家もあったと聞きました。
空港の販売スタッフが「危ない危ない、まだ戻ってこないほうがいい」と言ったかと思えば、多くの友人はどんな状況でも「大丈夫、大丈夫」と言い、他方ホテルの土産物屋のオーナーは、冷静かつ客観的に状況を分析します。同じ状況にあっても受け取り方、表現の仕方は様々で、多方面から情報収集することの重要性を改めて認識します。私の印象では、一般的にティモールの人は困難な状況にあるときでも「問題ない、大したことないよ」と言う人が多いようです。シャイなところ、意外と見栄っぱりなところと並んで、どことなく日本人と似ているところがあるな、やっぱりアジアだな、と感じることがあります。独断ながら。
空港の土産物屋は営業を続けていました。ディリの情勢悪化後、空港の職員や土産物屋のスタッフがかなり逃げてしまい、わたしが退避した頃は開店休業状態となっていましたが、ひとまず安心しました。こんなときだからこそ、通常通り販売を継続して収入を上げ、生産者の生活の安定、ひいては彼らのやる気に繋げられればと思います。
販売スタッフの一人は東部地域出身の男性なので、西部地域出身者による襲撃などを恐れ、ディリを離れているのではと思っていました。が、様子を見つつ仕事を続けているようです。彼によると、死者を出すほどの抗争や放火などはほぼ収束したものの、若者同士の喧嘩などはいまだ散発しているそうです。
一方、ホテルにある土産物屋は一ヶ月間ほど店を閉めていましたが、先月より営業を再開しました。
両店舗ともまだ売上は芳しくないそうですが、現在外国軍や援助関係者など多くの外国人が東ティモール入りしており、それ自体は決して喜ばしいことではありませんが、今後の売上の伸びの一助となるのではないかと期待しています。来年5月の総選挙の際も、選挙監視団など多くの外国人が東ティモールにやってくるものと思われます。そういったときに起こる一時的な経済振興、いわゆる「国連景気」のような状態が過ぎ去ってからが、本当の勝負であり長い道のりではあるのですが。
ホテルの土産物屋のオーナーによると、ディリ市内では教会や空港などにまだ多くの避難民が残っているとのこと。彼らの帰還は今後の課題の一つとなりそうです。また、99年の騒乱後と同じく、住民が避難している間に他者が勝手に彼らの住居に住んでしまう「土地の不法占拠問題」の発生も懸念されます。東ティモールではまだ、土地の所有権に関する制度がきちんと整備されていません。今回の騒乱では、過去に他人の土地だったところに勝手に住んでいたために、恨まれ放火された家もあったと聞きました。
空港の販売スタッフが「危ない危ない、まだ戻ってこないほうがいい」と言ったかと思えば、多くの友人はどんな状況でも「大丈夫、大丈夫」と言い、他方ホテルの土産物屋のオーナーは、冷静かつ客観的に状況を分析します。同じ状況にあっても受け取り方、表現の仕方は様々で、多方面から情報収集することの重要性を改めて認識します。私の印象では、一般的にティモールの人は困難な状況にあるときでも「問題ない、大したことないよ」と言う人が多いようです。シャイなところ、意外と見栄っぱりなところと並んで、どことなく日本人と似ているところがあるな、やっぱりアジアだな、と感じることがあります。独断ながら。
2006年07月25日
商品製作を続ける生産者グループ
退避勧告をうけて一時帰国してから、早二ヶ月が経とうとしています。その間東ティモールでは新しい首相が決まり、徐々に情勢も回復してきました。日本のメディアでは、もはや東ティモールのニュースを目にすることはほとんどなくなりました。
ロスパロスでは相変わらず、いつも通りのゆっくりした時間が流れているようです。首都のディリへ向かうバスも運転を再開したとのこと。停滞気味だった経済活動の回復が期待されます。
先日、生産者グループに集まってもらい、普段は直接コンタクトを取ることができない生産者とも、グループリーダーの携帯電話を通じて久しぶりに話をすることができました。仕事の話より先に、開口一番「Namora iha ona ka lae?(恋人はもうできたの?)」とわたしをからかう生産者に、退避前と変わらない様子を感じて安心しました。
生産者グループは現在、各自が主に自宅で商品製作を続けているとのこと。5月にグループリーダーがディリの取扱店を訪問した際、品質管理担当のフィロメーナさんが作った織ビーズ商品の評判がよかったので、みなで手分けして作っているようです。東ティモールの地図、国旗、伝統的家屋などの図柄を織り込んだタペストリーで、以前納品したものはお土産としてポルトガル人が好んで購入していったと聞きました。
リーダーは「商品ができたらディリのお店に納品しに行く、日本からの発注も受けられそうだ」とやる気を見せていました。当方も物的・資金的な支援ではなく、商品開発や品質向上の支援、販売のサポートや市場開拓、商品のプロモーションなどを通じて売上アップを後押しし、生産者のモチベーションを高める努力をしていきたいと考えています。
ディリへの交通費をサポートしてほしい、材料が足りないので日本から送ってほしい、などのリクエストもありました。今はまだそれほど収入が多くないので、活動継続のために、ある程度のサポートは必要と思われます。しかし、いずれ自分たちだけで自立して活動する段階に入れば、材料調達や経費負担も全て自分たちだけで行うことを意識しておいてもらわなければなりません。でないと、いつまでも他者に頼るようになってしまいます。材料は日本から買うより、現地で入手できる似たような素材で代用するほうが経済的で活動を継続しやすいので、現地で探してほしいと伝えました。
確かにティモールは日本のように物が豊富な国ではありませんが、物がない貧困もさることながら、アイディアの貧困という面もあると思います。持てる技術と資源を用い、生みの苦しみを乗り越えて、生産者の手から私たちが想像もしなかった商品が生まれることを期待して、今後も支援を続けていきたいと思います。
ロスパロスでは相変わらず、いつも通りのゆっくりした時間が流れているようです。首都のディリへ向かうバスも運転を再開したとのこと。停滞気味だった経済活動の回復が期待されます。
先日、生産者グループに集まってもらい、普段は直接コンタクトを取ることができない生産者とも、グループリーダーの携帯電話を通じて久しぶりに話をすることができました。仕事の話より先に、開口一番「Namora iha ona ka lae?(恋人はもうできたの?)」とわたしをからかう生産者に、退避前と変わらない様子を感じて安心しました。
生産者グループは現在、各自が主に自宅で商品製作を続けているとのこと。5月にグループリーダーがディリの取扱店を訪問した際、品質管理担当のフィロメーナさんが作った織ビーズ商品の評判がよかったので、みなで手分けして作っているようです。東ティモールの地図、国旗、伝統的家屋などの図柄を織り込んだタペストリーで、以前納品したものはお土産としてポルトガル人が好んで購入していったと聞きました。
リーダーは「商品ができたらディリのお店に納品しに行く、日本からの発注も受けられそうだ」とやる気を見せていました。当方も物的・資金的な支援ではなく、商品開発や品質向上の支援、販売のサポートや市場開拓、商品のプロモーションなどを通じて売上アップを後押しし、生産者のモチベーションを高める努力をしていきたいと考えています。
ディリへの交通費をサポートしてほしい、材料が足りないので日本から送ってほしい、などのリクエストもありました。今はまだそれほど収入が多くないので、活動継続のために、ある程度のサポートは必要と思われます。しかし、いずれ自分たちだけで自立して活動する段階に入れば、材料調達や経費負担も全て自分たちだけで行うことを意識しておいてもらわなければなりません。でないと、いつまでも他者に頼るようになってしまいます。材料は日本から買うより、現地で入手できる似たような素材で代用するほうが経済的で活動を継続しやすいので、現地で探してほしいと伝えました。
確かにティモールは日本のように物が豊富な国ではありませんが、物がない貧困もさることながら、アイディアの貧困という面もあると思います。持てる技術と資源を用い、生みの苦しみを乗り越えて、生産者の手から私たちが想像もしなかった商品が生まれることを期待して、今後も支援を続けていきたいと思います。



